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とこてく京都

京都の御朱印めぐりや、お店めぐりなど。京都とこてく。どこへゆく。

黒田官兵衛の屋敷跡に立つ「黒田如水邸趾」。如水町、小寺町…町名は官兵衛に由来!?

こちらは大河ドラマ軍師官兵衛」でおなじみ。黒田官兵衛(諱:孝高〈よしたか〉、出家後の号:如水〈じょすい〉)の屋敷跡を示す「黒田如水邸趾(あと)」の石碑。

じゃじゃんっ。

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この石碑は京都市上京区にあるその町の名も…「如水(にょすい)町」の一角に立っています。如水町、そして如水町の南に位置する「小寺(こでら)町」(※)は官兵衛の屋敷跡に由来する町名なのだそうです。官兵衛、かつてここに住んでいた時期があったんですね。しみじみ…。

(※)官兵衛は御着(ごちゃく)城(兵庫県姫路市)主・小寺政職(まさもと)に仕えていた当時「小寺」姓でした。

このほかにも上京区では戦国武将ゆかりの町名に出合えます。関白・豊臣秀吉が築いた政庁 兼 邸宅「聚楽第(じゅらくだい)」(天正15年〈1587〉完成、その後、文禄4年〈1595〉にトコトン破壊)の周囲には武家屋敷街が形成されました。武将ゆかりの町名はそれら武家屋敷の名残なのだそうです。

ほか、蒲生氏郷(がもううじさと)(蒲生飛騨守〈ひだのかみ〉氏郷)の屋敷跡にちなむといわれる「飛騨殿(ひだどの)町」、宇喜多秀家(うきたひでいえ)の屋敷跡にちなむといわれる「浮田(うきた)町」などなどがあります。

その昔、聚楽第が存在した当時、武将たちはこの辺を歩いてたのかなぁ…たまぁに想像を広げるのでした。